鮮烈な印象、シルクロードの旅①乗車時間50時間での出来事

起業までの奮闘

本日は

私が中国留学中に
非常に印象に残ったある旅
についてお届けします!
 
食の概念が変わった四川
以前お届けしましたね
食の概念が変わったのはもちろんですが
教科書やニュースで知る
民族問題、歴史
自分の肌で感じられたこと
 
また
 
人の温かさを実感した旅でした
 
 
遡ること15年前
2006年7月、
友人2人と私3人で
シルクロードを巡る旅をしようと
 
上海を起点に
敦煌(とんこう)トルファンウルムチカシュガル
というルートを回ることにしました
改めて地図で見てみるとすごい移動距離ですね
日本がすごく近く感じます

私たちは当時学生

お金はなくても時間はあったので
飛行機ではなく寝台列車でまず敦煌まで
向かうことにしました
 
もちろん
 
当時はまだ高速鉄道がなかったので
上海から敦煌までは
寝台列車で50時間位かかりました
(今なら約30時間で▲20時間です!ほぼ一日短縮!)
最初は旅行へのワクワクから
3人でテンション高くおしゃべりしたり
地図を見てどこ行きたいだの
こんなことしたいだの
していたのですが
寝る時間を省いて
乗車中ずっと
3人でしゃべっていると
途中飽きてくるというのか
マンネリ化してくるんですね
 
そしたら
自然と…
 
興味は私たちの向かいのベッドの人達に!
早速おしゃべりを始めました
どこまでいくの?
目的は?
どこからきたの?
 
そんなたわいもない会話ですが
暇を持て余せていた私たちには
十分でした
 
そして
 
よくよく聞いてみると
同じ浙江大学に通う
ウイグル族の学生さんで
 
夏休みで故郷の
新疆ウイグル自治区に
帰省するところ
 
しかも
 
ただ故郷に帰るのではなく
ウイグル族中国からの独立を目指して
人材育成をするための
特別カリキュラムが大学で開講されるので
それを受けるために帰省するとのこと
1949年に中国共産党が政権を握って以降
完全に中国に併合され
1955年に新疆ウイグル自治区
という名称になり今に至っています
 
彼女たちの話を聞くと
こんなことが過去にあったのだといいます
(事実かどうかはわかりませんが、
 私が実際に聞いた話です。)
ウイグルの独立を許可するという
中国政府からの連絡があり
手続きを行うために
幹部に北京まで来て欲しいと言われ
ウイグル族の幹部の方々は飛行機で
一路北京へ飛びました
 
すると
 
その幹部たちがのった飛行機は
無念にも北京には辿り着くことなく墜落
事故として処理されたそうです
 
しかし、
 
彼女たち曰く
これは中国政府が独立させまいと
最初から撃ち落とすつもりだった
のだというのです
 
中国では盗聴されていること多いので
身の安全のために
それ以上話題を深掘りすることは
しませんでしたが
 
肌で感じた
激しい反中国感情
私たちは中国人じゃない!
ウイグル人なの!
 
表向きは
新疆ウイグル自治区という名称だけれども
ウイグル人としての
アイデンティティを
大切にする強い気持ち
を感じました
 
私たちは後にウルムチまで
行くという話をしたところ
あまり中国語が通じないかもしれないからと
ウイグル語を少し教えてもらいました
 
何か教えて欲しいワードある?
と聞かれたので
これ知ってたら食いっぱぐれないだろうと思い
下記をリクエスト!
・ムズデッキ ピーウェ バーモ?
 冷たい   ビール  ありますか?
 
・カオワップ
 羊の串焼き(羊肉串)
 
他にも色々教えてもらいましたが
この2つだけは現地で使ったこともあって
今でも忘れていません!
当時撮った写真はこちら
顔は念のため伏せておきます


私たちは敦煌(駅名は柳園)で途中下車

真ん中の裏ピースしている彼女と
ウルムチで再会することを約束

ウイグル族のみなさんと一旦お別れしました

さて私たちのシルクロードの旅は
まだまだ始まったばかりですが
今日はここまで!
 
最後までご覧いただき
ありがとうございました